流行の言葉で飾らない

             (教頭) 藤 川 由 紀 子 

 日本の教育は、今大きな曲がり角に来ているようです。私は、毎年打ち出される新しい教育のあり方を精一杯理解しようとしているのですが、何か心にもやもやとしたものを感じていました。そのもやもやを一挙に解決してくれたのが、下記の提言です。 

 今の肩書きは共済組合理事長ですが、かつては日本の教育の第一線で活躍された先生です。その先生ですら、「自戒の弁」と言ってみえることに驚いたと言うより感動しました。

 大先生の文章を全文引用してしまって恐縮ですが、紹介します。

 


 

流行の言葉で飾らない        公立学校共済組合理事長 菱村幸彦

 これは自らを省みての自戒の弁である。私は、時代に流行(はや)るキーワードで教育を語るのはやめたいと思う。

 教育界にはいつの世も流行り言葉が飛び交っている。例えば、平成に入ってからも、「新しい学力観」「生きる力」「確かな学力」等々、次々と新しいキーワードが使われている。

 こうしたキーワードは、時代の状況の中であるべき教育の方向を示す言葉として、それなりに便利である。それにトレンディな言葉で装った教育論は、新鮮な感じがして世に受ける。

 しかし、それは真の教育にどれほどの意味があるのか。私は、中高一貫校の校長職を経験してみて、こうした流行のキーワードは日々の教育実践にはほとんど不要なものと思った。

 学校のなすべき事は二つである。一つは、子どもにしっかりとした学力をつけさせること、今ひとつは、子どもを自立した人間に育てること、である。

 学力を身につけさせるために重要なことは、教科書を読ませ、その内容をきちんと教え、課題を与えて学習を深め、反復徹底により学習内容を定着させることである。自立した人間に育てるためには、規律ある学校生活の中で自主性・自立性を重んじ、学校行事や部活などで充実感や感動を与えることが大切である。

 考えてみれば、これは学校制度が始まった昔から行ってきたことである。そこにはことさらに新しい装いをまとった指導法や評価法は必要としない。問題は、そうした本来あるべき教育をおろそかにして、流行りの教育論に目を奪われることにありはしないか。

 生きる力を育成するというので、苦心して作った総合的な学習はぜひ生かして欲しいが、名文の音読・暗唱、漢字の書き取り、計算ドリルの反復、応用問題の演習などによる基礎・基本の徹底の重要性を改めて確認したいのである。


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